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院長のエッセイ


 エイジズム〜老いを排除する社会

 ひとり暮らしの老人の7割近くが「閉じこもり」、つまり自宅にこもって外での交遊をしていないと言う
記事がありました。診療所に通う患者さんにもそんな方がみられます。その一人で「デイサービスなんかには
出たくない」といっていたAさんも、参加してみて楽しかったらしく、毎週心待ちにするようになりました
(それで元気になって病院には来なくなりましたが)。外向的であることは長生きの秘訣とされます。
介護サービスさまさまと思い、皆さん外に出ましょう、交流を楽しみましょう、とハッパをかけてきました。

 しかし、ふと不安に駆られました。外に出ろと言われても、どこにでるのだろうと。
介護保険や福祉が用意した受け皿になるのだろうか。確かに近くの商店は閉じ、バスは減り
郊外のスーパーにひとりではでかけられない。近所の友人は減り、公園に声をかける子供の姿もない。
若者向け中心のテレビでは、少子高齢化と、さも若者のお荷物のように取り上げられる毎日。
「人に迷惑をかけないように」と教育され、ひっそりと暮らすことを美徳と、引きこもってしまうのも
当然ではないかと思ったのです。

 エイジズムという言葉があります。年をとっているという理由で、高齢者をひとつの型にはめて差別すること
をいいます。老人虐待の意味で使われることもあります。バトラーが1969年に提唱した言葉で、
根深い問題といえます。
エイジズムの生じる原因として彼は、(1)認識不足や広範な高齢者との接触の不十分さ、
(2)年をとることへの深遠な恐れ、の2点をあげています。

 若さに価値を置き、自立を個人のあり方と尊重する社会において、私たちは知らず知らずのうちに
老人を排除してきたのではないでしょうか?日常生活の外に追いやることで老化や死といった問題から
目を背けられるかのごとくに。年寄りと接する機会が減り、伝えられるイメージはマイナスなものが多い。
しかしこのエイジズムによって失われる先達の知恵・文化は、はかりしれません。

 悲観的にすぎると言われそうです。医者はむしろ一部の病気のお年寄りばかり見ているために、
エイジズムに染まりやすいのかもしれない。実際高齢者といっても介護や痴呆が問題になるのは
その2割といわれ、日野原先生のように90を越えて「新老人」活動をされている方もいます。
もともと日本は「敬老」の精神が根付く国として外国に紹介されていたのでした。

 これまで病院の待合室はお年寄りのサロンだと冷やかされ、最近はそこからも追い出されつつあります。
むろん介護サービスをきっかけに少しでも外に出られるようになったことは喜ばしいことです。
介護保険すら知らないお年寄りに「どんどん活用したら」といいながら、ふとこれは、お年寄りを若者たちから
隠す新しい巧妙な方法になりはしないかと、危ぐするのは深読みでしょうか?

 自殺率ワーストという数字を前に、闇の深さに立ちすくみそうになりますが、街なかにお年寄りと子供たちが
もどってきて、人生の楽しみも苦しみもあるがままに語り合える社会を、夢として抱き続けたいと思うのです。
(平成15年7月 秋田魁新報「聴診器」)



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