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院長のエッセイ


 「物語」の医学(EBMとNBM)

 外来の患者さんから、家庭での悩みごとをうち明けられることがあります。
子供に年金を取り上げられてしまう、夫がひどく殴る、娘に完全に無視される、など様々です。
これらが患者さんの病状に深刻な影響を及ぼしていることは言うまでもなく、それが病因となっている方も
多く見受けられます。

 医療ではEBM(エビデンス・ベイスド・メディスン)という考え方が最近主流です。治療法の選択には
疫学的(統計的)研究の土台が必要という立場です。この病気にはこの薬が何パーセント有効である。
この薬は根拠となるデータがないので使っても無意味である、など。医療経済的にも有効な考え方ですが、
ひとつ抜け落ちていることがあります。それは、治療に当たる医者の個性や患者さんとの対話・信頼度など
を考慮していないことです。

 ただの小麦粉でも「良い胃薬です」といって処方すれば何割かの人には有効で、これを偽薬効果と
いいます。なぜそんなことがおこるのでしょうか?「病気」というだけあって、精神的なストレスが症状の原因の
一部になっていて、「薬を飲んだ」という安心感でこのストレスがある程度緩和されるからでしょう。

 EBMに対してNBM(ナラティブ・ベイスド・メディスン)という考え方があります。
「ナラティブ」は「物語り」などと訳され、患者さんが語る病気の体験の「物語り」から,病の文脈を理解し,
抱えている問題に全人的にアプローチしようとする臨床の手法です。病気に至る背景や人間関係を
聞き取り、読み解くことが治療・癒しには有効かつ不可欠であるとする考え方です。

 「あたり前じゃないかそんなこと」といわれそうですが、問診と診察だけが手段であった昔に比べて、
機械や検査が次々と開発されて、それに頼るあまり、対話がすみに押しやられがちです。その結果
「検査は異常ありませんでした」「ではどうして痛いんでしょう」「そんなはずはありません」あるいは
「(いきなり)○○検査お願いします」みたいな会話が生まれるのです。

 ようやく医学教育にも患者さんとのコミュニケーション技術を磨くという時間が取られるようになりました。
これまでそれは個人の技量に任されていたのです。患者さんの語る物語を傾聴し,解釈する技術は,
臨床技能の中核だということが再認識されています。ただNBMは決してエビデンスを否定するものではなく,
EBMを補完するもので、まさに「車の両輪のようにあるべき(日野原重明先生)」なのです。

 実際には、何か問題を抱えているようなのに、なかなか口を開いてくださらない患者さんを前に、
自分の技量のなさ、人格の未熟さを痛感することもしばしばです。多くの病気が「生活習慣病」といわれ、
外来が裁判所のように懲罰的な場所になりがちですが、病院は患者さんが心を開いてもっと幸せになれる
場所でありたいと思わずにいられません。
(平成15年8月秋田魁新報「聴診器」)



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