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院長のエッセイ


 通り魔と身体感覚

 夜道で女子高生が斬りつけられる、あるいは中学生が突然何者かに殴られる、といった事件が
日本各地であいつでいます。被害にあった方には心からお悔やみ申し上げますし、犯人には強い憤りを
覚えるのも当然です。ただ、多発するこの手の事件の裏に、若者たちの身体感覚の衰えを危ぐするのは
私だけでしょうか?

 詳しい状況がわからないので断定的なことはいえませんが、暗い夜道を歩いていて、
後ろからなにものかが近づく気配を感じた場合、普通であれば振り返って正体を確認するであろうし、
女性であれば、離れて身構えるくらいの防御姿勢があってしかるべきではないか。そもそも、
「気配を感じる」ということが鈍くなっていないだろうか。

 細道から道路へ何のためらいもなく飛び出す自転車、傘を手に提げたまま後ろを気遣うでもなく歩く大人。
携帯電話でメールしながら歩く学生に至っては、まったく無防備と言っていいでしょう。
街にあふれる騒音や雑多な情報、屋内でのヴァーチャルな遊び、これらにさらされるうちに、
生物的な身体感覚が鈍磨してしまったのでしょうか?

 それだけ、日本は安全な国だと喜んでいられる情勢ではなくなりました。
電車の中で熟睡する無防備な姿は、外国人にとっては驚きです。'
能'のある名士は、駅のホームで待っているときですら、壁を背にしてスキのない格好で立ち、
その理由を尋ねられると、「常にどちらの足にでも重心をかけられるようにして、
いつなんどき突き落とされそうになっても対応できるように身構えているのだ」と答えたという。
これを、そんな大仰な、とおっしゃるでしょうか?

 ちまたでは健康ブームが続いており、免疫力を高める食事ということまで言い始めています。
身体を気遣うのはけっこうですが、それがあまりに物質としての肉体のケアに偏重しているように思います。

 歩き方から姿勢、周りに対する身体感覚、こういった、いわば本能的な、生物としてのサバイバル能力を
研ぎ澄ますという視点が欠けているのではないでしょうか。そういった感覚は、自分が健康であるか、
どこが病んでいるかを自ら感じ取る感覚にも通じると思うのです。このような生き様、武道にも通じる
テンションをもっと取り戻そうとアナウンスすべきなのではないでしょうか。

 平和と飽食で心身共にぼけきっているといわれそうな日本ですが、「宮本武蔵」のおかげか、
若者たちの中で武道に興味を持つ人が増えているようです。武士道まで行かずとも、いまの子供たちに、
昔から伝わる外での自由な冒険的な遊び、これを取り戻すことが、失われつつある身体感覚を
取り戻すのには必要だと私は考えます。

 我々大人には、子供たちに自由で快適な社会と共に、生き延びるのに必要な身体感覚を磨くすべも
伝えていく義務があるように思えてなりません。
(平成15年10月 大北医報掲載)



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