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院長のエッセイ


 「白い巨塔」と「まち医者」

 関東に開業していまも大学で研究に携わっている先輩からの、今年の年賀状には、こう書いてありました
「いまうちの医局は白い巨塔状態です」。そういえば、教授が交代の時期だったな。
ふと、遠い昔のことのように思い出しました。この一言でだいたい見当がつきます。

 友人から最近「(白い巨塔の)テレビ見たけど、本当にああいう事ってあるの?」ときかれます。
よく見ていないのでと、断言はしませんが、医局という構造のある一面の真実を写し出しているのかも
しれません。

 大学病院の医局に籍を置いたものとして、テレビほどドラマチックではありませんがいろいろな経験を
しました。教授回診はもちろん、出張病院の人事、医局間の軋轢など。そういうことに無頓着な私でも、
人間関係の難しさを感じ、また周囲から教えられました。もともと秋田で診療所を継ぐつもりの私でしたが、
これらの経験を通して「大学病院は自分の肌に合わない」と感じたものです(良し悪しは別として)。

 一口に医者といっても、様々です。「内科・外科・・」というくくりのほかに、実際の患者さんの治療にあたる
「臨床医」と、動物実験などを行い薬や治療法を開発する研究医もいます。
大病院で細分化された疾患を見る「専門医」と、開業してひろく患者さんの最初の門戸となる「一般医」。
また政治に参加して医療の改革を図る立場もあるでしょう。それぞれ優劣や尊卑があると私は思いません。
それぞれなくてはならない立場です。あるのはその職への適・不適だと思います。

 それでも、今日まで「地方の病院は医師の確保に躍起」とか、「後継者不足に悩む開業医」、
といった図式が繰り返されてきました。医者も人間ですから、僻地の診療や孤独な開業よりは
都会の大病院でのチーム医療や最新医療といったものに安心感やあこがれを抱くことは否定できません。

 「就職難というのに贅沢な悩みだ」とか「都会も地方も、患者に違いがあるわけでなし、高い理想に燃えて
医者になったんじゃないのか?」という声が聞こえてきそうです。これには個人の意志の他に医局制度をふくめた、
様々な課題があります。それでも医局や研修医制度も最近大きく方向転換してきています。

 欧米では家庭医(かかりつけ医)、ジェネラリスト(一般医)、プライマリ・ケア(初期治療)などという、
地域に密着して患者さんの最初の窓口となる医師・診療科の地位が確立しており、必要に応じて
専門医に送るというシステムがあります。日本ではこの分野の存在・認知がまだ不足しているように感じます。
「大病院指向」は患者さんだけの問題ではないのかもしれません。

 私自身は「まち医者」という呼び方に誇りを感じています。この立場が地域医療・福祉・まちづくりなどとも
結びつき、自分の性に合っていると思うからです。

 「赤ひげ」「ブラックジャック」「里見先生」「Dr.コトー」等々。医者の理想像が描かれてきました。
形は異なれ、根底は同じ様な気がします。いろいろな場所でさまざまな医者がそれぞれの課題と向き合い、
解決すべく日々模索・努力している。私はいつもそう信じています。
(平成16年3月秋田魁新報「聴診器」一部改変)



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