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院長のエッセイ


 誕生日のプレゼント

それは今年の私の誕生日のことでした。受付で少しもめているような気配。
しばらくして入ってこられた80代の男性。「先生、しんどいんですわ」いろいろきいていくと、
糖尿病と高血圧で長いこと通院していて、先月は脳梗塞を「かすって」ひと月ほど入院していらしたとのこと。
ただ検査数値も内服薬もわかりません。

「なにがいちばんしんどいんでしょう?」「んだな、手足のさぎがしびれるやづがな。なんとかしてけろ」
「そうですか。おそらく糖尿病によるものだといわれているんでしょうけど、なかなかすぐには治らないことが多い
んですよね。お薬足すにしても、いまどんなお薬を飲んでいるかわからないのではねえ・・・」

「検査をしますか?点滴でもしましょうか?」「・・・」「どうしてほしいか言って頂ければいいんですけど」
つい、わたしは詰問口調になっていたのかもしれません。男性はこわばった顔で言いました。

「なんだ、その態度は。これだけしんどいっていってるのに。何とかしてけるのが医者ってものでねえのが。
へば、もおいい。わしは昔ここに入院したこともある。前の先生には世話になった。いい病院だどおもうがら、
こうやってきたんだべさ。がっかりだ、帰る。金取るんだが?」「・・・もちろん結構です」

わたしは冷や水を浴びたような気分でした。

天を仰いで、なぜかすぐにこう感じました。
「ああ、いまのひとは、親父が送ってくれた誕生日プレゼントだったんだな」と。

日々外来を訪れてくださる患者さんは、今の自分の鏡であって、そのたびにいろいろな気づきを与えてくれる。
診療所は、何より自分の修練の場だと感じるこのごろです。
(18年大北医報コラム)



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