エッセイトップへ
院長のエッセイ


 「まち」と「ひと」

質問です。お昼でぶらっとランチを食べに街に出かることにしました。
さて、みなさんは昼食を食べられるお店をいくつ思い浮かべることができますか?
種類や味?に関わりなくです。

じつはわたしも以前は数軒しか思いつきませんでした。2年くらい前から昼食がてら散歩をするようになり、
意外と目立たない良い店を見つけたりして、楽しくなって全部をデジカメで記録し始めました。
いまでは大町周辺だけでも30軒以上、郊外まで足を伸ばして見つけたお店はすでに80軒を超えました。
(居酒屋などではなく、あくまでお昼も開いているお店です)

これは意外でした。お店だけでなく、街路を隅々まで歩き回ることで、毎日さまざまな発見があります。
それまで「知っていたつもり」の町並みが新鮮で親しく身近なものになってきます。
車では気づかずに通りすぎてしまうところも、歩く速さではずいぶん違ってみえるものだと実感しました。

以前所属していた団体でも「まちづくり」をテーマに様々な活動に参加しました。
それらを通じてまちや人の新たな魅力を発見したのも事実ですが、そこで挙げられるスローガンや目標が
いつも気になっていました。「まちの魅力を引き上げる」「新たに魅力を創世」
「まちに活気を!活性化を!元気を!」といった言葉です。

裏返せば、それだけまちに魅力や元気がなく、衰退してうらぶれている、といったイメージを訴えているのと同等
です。実際そうでしょうか?自分の足で歩き回ってみえてくるのは自分がいかにまちの本当の姿を
知らなかったか、メディアが流すパターンやイメージで決めつけてきたかなのです。

これは大館に限らず、日本中の多くのまちで同じではないでしょうか?
問題がない、現状で良い、といっているのではもちろんありません。
外(対象)に問題があるとばかり見るのではなく、自らの本当の姿を知らないことに、
自信を喪失してしまっていることに問題はないのだろうか?

まちもひとも、よくよく見つめ直すことで自信を回復することは可能です。事実今の私は負け惜しみでなく、
大館のまちには沢山の魅力を感じています。まちが何も変わらなかったとしても
確実にこの自分の見方は変わりました。

「現状に満足してはいかん、進歩がない、敗北主義だ、魅力を発信していかなければ負け組だ・・・」
という声が聞こえてきそうですね。そのような反応こそがこの陥穽におちいっていることの証左である様な
気がします。

ふと思いました、病気(健康)にとらわれている患者さんもある意味同じではないかと。
この素晴らしいからだに不満・不信を持ち自信を喪失してしまっているのでは。
それがかえって病気という状態を引き起こしているのならば、衰退という幻想にも、病気という自信喪失にも、
解決策は同じなのではないだろうか・・・。

こんなことを考えながら、ひるのぶらぶらお散歩は、まだまだ続きます。
(平成16年 大北医報掲載、加筆修正)



トップへ



前へ

次へ