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院長のエッセイ


 野球審判道

息子が中学の硬式野球チームに入ったのだが、ひょんなことから審判をやることになった。
小学生での町内野球くらいで、経験ほぼゼロ。しかし経験豊富な人がやるとは限らない。
小学校はオヤジのなんちゃって審判で許されたが、公式大会にも参加するので正式なユニフォームもある、
回を重ねると球審も任される。

講習を受けて資格を取り、毎年更新する。ルールブックは法律本のようで読んでも分からず、
ジェスチャーやフォーメーション(審判同士の連携)を覚えるため、DVDを見てネットで勉強する。
同じ苦労をしてるオヤジ達のブログは沢山ある。
野球放送を見るとつい審判の動きに目がいくようになる。

20年以上のベテランから新米まで区別はしない、すぐ先生と呼ばれる医者と同じだ。
試合開始1時間前には球場入りしてミーティング。グランド整備、ライン引きもする。
2時間ほど立ちっぱなし球から目を離せない緊張が続く。硬式球なので打ち所が悪ければ死ぬのだ。
炎天下ではかなりしんどい。正直、審判がこんな重労働だとは知らなかった。
しかも弁当が出るだけのボランティア。

続けられるのは勿論苦労ばかりではないからである。グランド上で選手のプレーを間近で見る。
メンバーと一体化したかの臨場感はスタンドの応援では得られない経験だ。
ネット裏での監督、コーチ、親たちの四方山話、他チームの審判との交流。様々な職種がいる。
医者は珍しいのか病気の相談をされたりもする。選手からの気持ちのいい挨拶、ナイスジャッジ!
(稀に)の喜び。

試合終了後すぐに反省会がありお互い指導したり、良い動きを褒めたり。
何回やっても完璧はなく、集中、勉強、改善の繰り返しだと、ベテランが語る。
自分なりに審判に求められるものを感じる。正確な判断、とっさの動き、迷いのない仕草、
とぎれない集中力、公平中立な立場。感情に流されない、貸し借りを入れないジャッジ。
その裏付けとなる生涯勉強経験の積み重ね、いずれも審判道と呼んでいいような修練の場である。
してみれば医者の仕事も医者道であろう、そう思った。

先日、無理がたたったのかギックリ腰になった。ここらで少し休めということか。
(26年6月 大北医報)



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