准看護学院の戴帽式を前に、ナイチンゲールの書籍を読む機会がありました。小さ
い頃から知りながら、正直吟味して読んだことはありません。看護師を目指す方は、
一度は教えられるのでしょうが、書籍のレビューに「看護師よりもむしろ、臨床の医師
たちに読んでいただきたい内容である」というものがあり、同様の感想を持ちました。
「著述家・看護の発見者・優れた看護管理者・科学者・統計学者・衛生改革者・病院
建築家・社会改革者としての知られざる側面を有する」と評価されています。その文
章は高邁な理念から精緻な具体策まで多岐にわたります。 「この世で、病人に浴びせかけられる忠告ほど、虚ろで空しいものはほかにない。そ
れに答えて病人が何を言っても無駄なのである。(中略)本当のことを何も知らない
で、しかもそれを尋ねることはできないと自認しながら、それでいて忠告を与えること
のほうが、一層失礼ではないか」。 「人びとはよく、十年とか十五年とか病人の世話をしてきた看護師のことを『経験を積
んだ看護師』であるという。しかし経験というものをもたらすのは観察だけなのである。
観察をしない女性が、五十年あるいは六十年病人のそばで過ごしたとしても、けっし
て賢い人間にはならないであろう」。 看護を天職と捉えていた彼女は「何かに対して使命を感じるとはどういうことであろう
か?それは何が『正しく』何が『最善』であるかという、あなた自身が持っている高い理
念を達成させるために自分の仕事をすることであり、もしその仕事をしないでいたら
『指摘される』からするというのではない、ということではなかろうか。(中略)看護師
は、自分自身の理念の満足を求めて病人の世話をするのでない限り、ほかからのど
んな『指示命令』によっても、熱意を持って看護することはできないであろう」とも言っ
ています。 看護師を医師と読み替えても通じる気がします。戴帽式に臨むたびに、私は彼女の
直裁で誠実な言葉を思い起こしたいと思いました。 今号も多くの文章を寄せていただき、皆様の体験に基づいて生み出された言葉の
数々を、毎回新たな気持で読ませていただいています。皆様が書く動機には、ナイチ
ンゲールが看護学校の卒業生に宛てて手紙を書いていた時と同質のものが宿って
いると感じるのです。「自分が得た気づきをシェアしたい現れ」とでもいいましょうか。
本当にありがたいことです。(大北医報平成28年12月号あとがきより)
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