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院長のエッセイ


 ビバ!ヒューマン

オリンピックでは200を越える国と地域の人々が一堂に会した。たとえ人種や言語が
異なっても「うれしい、楽しい、大好き!」は見れば分かる。あたりまえのようで、これ
は実はすごいことである。赤は赤と見え甘いは甘いと感じる。喜んでる、怒ってるも通
じ合える。

DNAを共有しているからと説明したところで分かったことにはならない。赤という色を
知らなかった者が、新しく赤を取り込むことができるだろうか(その色を
と名付
ける行為とは違う)。もともと赤という気づき、概念を持っているからわかるのではない
か。

例えば、あるモノをみて嬉しい、幸せと感じる。そのモノが自分にしあわせをくれたよう
に感じる。これもよく観察すれば分かるが、もともと自分のなかに「しあわせ」という状
態があり、モノを機にそれに気づいたというのが本当ではないか。

突き詰めると、自分の内にこの世の全て、いっそ宇宙があるともいえる。なぜならそ
れにいま気づいているからである。「存在しない」という選択枝もあったであろうに、こ
のように在る、そして一見多様だが同じ気づきを有している。これは大変不思議であ
り、また素晴らしいことである。

祭りはなぜ幸せなのか?最中は普段と比べて何が違うのか。それがわかれば、いつ
も「自由な平和」に気づいていられるのでは?(リオ・オリンピックを終えて)






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